誰に書かれることなく、誰に撮られることなくとも。

感じる心さえあれば、世界は美しいのだなと思います。そして心が感じた世界の美しさ、それぞれの美しさを見せ合いっこする相手がいれば、これほど幸せなことは無いでしょう。
むそーはここのところ、モノカキとしてすごくいらだっていて、つまり書けないことに。表現できないことに。でも最近こう思うのです。表現することに、広く公に向けて表現したいと思うことにそんなに価値があるだろうか?世界を美しいと感じる心、あるいは醜いと感じる心、不正義に憤る心、弱きものを哀れむ心、それらが自分の心に確かにあれば、それでよい。
表現全てが功名心だとは言わないけれども、でもむそーの中には「表現する者」としての自負があったし、だからこそ焦りもあった。
でもそんなものはとりあえず置いておきます。自分の心がオリジナルであること、そして他人のオリジナルな心と触れ合おうとすることに価値がある、それを知っていれば、広く公にそれを表現できないことに、焦りを感じる必要はない。
自分の周りに心地よい世界を見つけること、「自分の周り」が広がっていくこと。行きたいところに行けばいい、やりたいことをやればいい。そこには出会いがあるでしょう。そしてそれは悪い出会いあであるはずがない。自分には、自信があります。