展覧会2本。

ベルギー 近代の美@府中市美術館
11/26、見に行ってきました。府中市美術館を訪れるのはこれでたぶん3度目?なんだか府中市美術館とは相性がいいみたいです。おれの気になるものばかりやります。キュレーターさんと趣味が合うのだろうか?謎です。単に京王線で毎日通勤してるから告知を目にする機会が多いって説もありますが。
で、ベルギー近代です。ベルギー近代の美術はまず、フランスから印象派の影響を受けて始まります。ベルギーの印象派はフランスのまねっこじゃなくて、独自の展開をみせ、新印象派、とくに太陽光の表現を追求した陽光派と呼ばれる独特の表現へ特化します。エミール・クラウスの「藁を積む女」とかがそのあたりの絵でしょうか。その編の絵画はある意味モザイク画のような、色を置いてものを表現する、線を引かない、輪郭を描かないという感じになってます。レオン・デ・スメットの「陽のあたる室内」などは全て「色置き」で描かれて陽光に輪郭を消した室内の事物が描かれてます。
で、それがベルギーの絵画を次の段階「象徴主義」へと進ませるのです。つまりいままで描いてきた風景の印象、ではなく心の印象、心の中を描こうとする訳ですね。それはもはや美の表現ではないわけです。不可思議なもの、不気味なもの、おかしなもの…ジェームズ・アンソールの絵などまさにそうですが、意味が分かりません。美しくもありません。ですが表現せざるをえなかった感はびしびし伝わってきます。こういうところが現代の美術なんでしょう。というか現代の芸術に共通して言える事かもしれませんが。つまり芸術はかつては客観的な美を表現するためにあった。でも現代は個人の表現のためにある。客観的な美を表現するものから自分の個性を表現する時代へと移り変わっていく時期を切り取った展覧会と言えるかもしれません。
その後絵画の流行はシュールレアリズムの時代になります。ベルギーのシュールレアリズムといえばマグリット、ですね。そしてむそーの大好きなデルヴォーです。デルヴォーの「謎」という絵を、ひたすら見てきましたが、まさに「謎」な絵ですね。謎があるのか、意味があるのかそれすらも分からない。手前から奥に向かって1本の街道、両側には林。右手前には神殿風建物。中央少し奥に3人の女性、左手前に二人の全裸の女性。一人はこちらを見ています。林の中に謎、女性の瞳の中に、胸の中に謎、謎、謎、謎…デルヴォーにとって神殿風建物や全裸の女性や街道などこういったモチーフは全て詩の表現のための言葉に過ぎない。デルヴォーの作品にはだから同じモチーフが繰り返し繰り返し登場します。結局意味が分からない。分からないけれども、神秘的で何かが潜んでいる、隠されているという気配はすごくある。だから目が離せないのです。
その後ベルギーの絵画は抽象絵画へ。絵画表現の全てを直線に還元しようとする作品(ガストン・ベルトランドだったかな?)はちょっと面白かったです。
ベルギーってオランダとフランスっていう芸術2大国にはさまれているのでその分、両大国に対する反発っていうか独自性を求める動きが強いみたいですね。マグリットデルヴォーを輩出してるってだけで、世界の現代美術におけるベルギーの位置づけって画期的と思うけれど。なんてまとめてみます。
で、もう一つは「生の芸術 アール・ブリュット展」@HOUSE OF SHISEIDOです。日曜の朝から銀座へ行っちゃいましたよ。アール・ブリュット。あるいはアウトサイダーアートとも言いますね。美術教育を受けていない人が内的衝動に突き動かされて描いた美術の事を指します。多くは社会から疎外された者、精神異常者、発達障害者などの方の作品が多いようです。以前見に行ったヘンリー・ダーガー氏の作品もその一つです。
個人的に一番強く引かれたのがアッティロ・クレセンティ氏の絵。あばらを折られたような肉塊がたくさんの太く強い線で表現されている。絵から感じるのは憎悪のような感情。クレセンティ氏の生涯が投影されているのだろうか、生後9ヶ月で関髄膜炎を発症し知的発達障害を引き起こす。2歳の時3階の窓から転落し、4歳で児童施設に預けられた。その時耳が聞こえない事が分かったという。それから61歳までを施設で過ごしたがその翌年、肺がんを発症。死までの1年間に数十枚の絵を残した。彼の人生が描かしめた絵と言えるだろう。その表現の強さが画面から自分を捕らえて離さない。息をのむ、息をするのを忘れる、そんな圧倒感がある。
他の作品についても語りたいところだけれど、記憶が薄らいでいるのでやめておく。アウトサイダーアートについてはこれからも見ていきたいな、と思う。たぶんむそーは絵の中に描かれた主観とか情動とかが好きなのだ。