それは誰にもあるべきなのだ

クリスマスです。街はイルミネーションできらびやか。楽しそうなカップルたちでいっぱいです。でもむそーの子供の頃、クリスマスは大人のものではなかった。子供のものだった。そういう感じがする。なぜか。それは子供がたくさんいたからだ。第2次ベビーブームの真っ只中。子供と子供を持つ親が、世の中の多くを占めていた。
先日、新聞に日本のこれからの人口推計が載っていた。2006年の出生率は1.29、しかし2007年には1.25、2013年には1.21に下がる。このペースで行くと50年後の2056年には人口の4割が高齢者になるという。そうなのだ。むそーの時代には子供がたくさんいた。だからクリスマスの主役は子供たちだったのだ。いまは子供が少ないから、主役は大人になる。そのうちに、クリスマスの主役は老人たちになるだろう。むそーは50年後には84歳。まわりは同年代の年寄りばかりでメリークリスマスだ。
むそーの子供時代のクリスマスの思い出はとても美しい。クリスマスのときはテレビも昼間から子供向けのクリスマス番組を流していて、クリスマスソングがずっと流れていた。ヤマザキのクリスマスケーキを近所の酒屋兼雑貨屋さんに毎年注文していて、晩ご飯までケーキは出しちゃいけなかったから、箱のビニールの覗き窓からケーキを見てはわくわくしていた。母親は毎年鶏のもものローストを近所の肉屋さんで買ってきた。晩ご飯の時にはシャンメリーを飲ませてもらった。母がレコードプレーヤーでクリスマスソングのレコードをかけたりした。歌ったりもしたかもしれない。鶏のもものローストの、その骨は翌日父がスープにした。しょうゆ味の鶏がらスープも、クリスマスといっしょの思い出だ。大きなおもちゃを買ってもらえるのも、クリスマスと誕生日のときだけだった。クリスマスが近づくと何ページにもわたるおもちゃ屋さんの広告チラシが新聞に折り込まれてきて、それを姉と一緒に見るのが楽しかった。どれをサンタさんにお願いするか、目をきらきらさせながら広告に見入っていた。姉とは子供部屋の2段ベッドで、むそーが下で寝ていた。クリスマスの朝には枕元に赤い包装紙のクリスマスプレゼントが置いてあった。姉と見せ合いっこしたり、交換して遊んだりしてクリスマスを過ごした。
そんなぼくたちは大人になって、いまいい時代か?と問われると正直いい時代だとは言えない。ときどき思う。うちの父親の世代はよかったよな、と。ちょうど高度成長期の波に乗って給料もボーナスも右肩上がり、50過ぎてからバブルがはじけて出向だリストラだと苦労はしたが、早期定年退職で退職金を積み増ししてもらった。そして年金もきっちりと受け取っている。それに比べて自分は給料は安く財産も蓄えられず、子供どころか結婚さえもまともに考えられない。ワーキングプアと言われればドキッとするような生活だ。
でも、と思う。でも、子供の頃は幸せだったのかな、と。まあ、中学以降はいじめとかあったし思い出したくは無いけど少なくともそれ以前は。なんというか、子供と子供を持つ親が主役の時代だった。だからその時は幸せな時代だったのだ、きっと。いまはあまり幸せな時代ではないけれど。
この先どうなるんだろう?と不安に思う。少子高齢化は進んで、少数派である子供にとっては厳しい時代だ。社会が病んでいて弱く小さな子供がその犠牲にあう。病んだ社会のストレスのはけ口になって殺されたり犯されたりしてしまう。金持ちと年寄りが得をして、その損をあとの世代に残したまま自分たちだけ幸せにくたばって行こうとしている。なんなんだ?なんなんだ、この国は?
ごめんなさい、勝手なことを言います。金持ちと十分得をした年寄りは早くくたばって消えてください。もっとおれたちの世代と、子供たちの世代のための政治をしなければならない。そのための世代交代が必要です。子供たちに幸せな時代を。おれたちが子供を生み、育てられ、主役となれる時代をもう一度!そう思わずにいられません。
メリークリスマス。いま幸せでないかもしれない子供たちと、そして子供を持ちたいすべての人たちのために。