MEET THE WORLD BEAT 2006

拝啓、木村カエラ
あなたの曲、むそーは大好きです。リルラリルハの時は正直「どーでもいいポジティブソング歌うオンナ歌手がまた一人出てきた」くらいにしか思ってませんでした。でもBEAT、Circle、そしてMagic Music!…面白い才能だ!と思ったし、スナオに21世紀の日本の正しいポップスを知るためには聴かなければならない、ぜったい外してはならない、そんなシンガーだと思っています。これからあと94年続く21世紀の日本のポップスの歴史の中で、外してはならない存在だと。
ですが、あなたのステージングには…どうにも…納得がいかないのです。あなたはステージングとパフォーマンスを履き違えているように思えます。あなたはステージ上でパフォーム(演じる)ことがステージングだと思っているように見えます。百歩譲ってそう思っていないとしても、あなたは自分がどう映っているか・どう見えているか、客の目に映る自分を無意識に演じてらっしゃいませんか?
私が「このオンナはすげーステージングをするな…」と思ったアーティストが最低でも3人います。矢井田瞳、YUKI、Cocco
ステージングとは「支配」だと思います。客を如何に支配するか。HIP HOPの世界には「lockする」という表現がありますが、つまりlock=錠、つまり錠をかけるように音楽で人を支配し、動けなくする。というか音楽と、音楽を放つアーティストの表現力で人が動けなくなる、支配される。そのことをlockするというのでしょう。
矢井田瞳、YUKI、Cocco。むそーは、この3人のステージングは客をlockしている、と思います。なぜか。それは彼女たちが彼女たちの内面の力を、ひねりなしに直球で客にぶつけてくるから。直球をぶつけられた者は、ぶつけてきた相手にlockされてしまう。今度はぶつけられねえ、受け止めてやる、受けきってやる、と。直球を全力で投げる者とその球を全力で受け取ろうとする者、その間にピンと張りつめたもの。それこそがlock。そこにこそ圧倒的な支配…ステージングがある。そう思います。
では、そうするためには何が必要か。全力で球をぶつけるためには?客に全力の全力で球をぶつけるには?どうすればいい?それは…それは…とことんまで自分の内面へ降りていくことです。表現する、演技する自分を外に外に放つのではない。大観衆の面前で、衆人環視のその中で、自分の内面という最も恥ずかしい部分へ降りていく。降りて降りて降りきって、自分の内面の力を汲み上げてくる。全力で降りて、できるだけ大量に、自分の内面の力を汲み上げてくる。そしてそれをぶちまけるのです。それこそが、全力で人に球をぶつけるためのエネルギー。そういうエネルギーでもって、全力で球を人にぶつけられた時、初めて全力で応えようと客が、多くの客がlockされてしまう。そしてそこに圧倒的な支配=ステージングが生まれるのです。
木村カエラ様。あなたはまだ衆人環視の大観衆の中で、まだ自分の内面という最も恥ずかしい部分に降りて行ったことが無い。そうではありませんか?いい曲が、ほんとうにいい曲がたくさんあるだけにむそーは思います。演じるあなたなど私はもう見たくない。パフォーマンスは要らないから、もっと内面を、汚い内面をぶちまけるあなたを見たい。私はあなたにlockされたいのです。楽しませようと考えたのかもしれない中途半端な振り付け、パフォームすることに集中しようとしながら緊張する顔、声の震え。完璧なメークと、求められるままに提供し、今も自在にチャーミングに微笑んで見せれるその笑顔。
そんなあなたなど要らないのです。もっともっと醜い木村カエラが見たい。もっともっと汚い内面をぶちまける木村カエラが見たい。顔をめいっぱい歪めて、全力で吠えて欲しいのです。全力で吐き散らして欲しいのです。
アーティストだろうがミュージシャンだろうがシンガーだろうが、芸人なんですよ、木村カエラ様。あなたは本名で活動されてますが、芸人が芸名を名乗るのは、風俗嬢が源氏名を名乗るのと同じ。芸人になることは、ただそれだけで恥ずべきことなのです。だから恥をかくことを恐れてはならない。恥のかき方を芸として昇華すること…それもまたステージングの別名でもあるでしょう。衆人環視の中で自分の内面という恥をぶちまける、という形の芸。
木村カエラ様。あなたは芸人です。芸人にとっては恥のかき方こそが芸能の全て。どうかあなたの芸能が、より精進いたしますように。もちろんこのトピックがあなたに読まれることは無いでしょうけれど、一ファンとして私の願いが届けば幸いです。
この私の身勝手な願いが…