神仏習合/義江彰夫

笙野頼子/金毘羅の影響を受けて読みました、神仏習合神仏習合とは、日本古来の神が仏教に帰依し、仏教(特に密教)的解釈によって日本の神の世界を再解釈しなおすその行動、歴史を指します。・・・って説明になってるかな?自分でも良く分かっていないのだけれども。
世界には宗教がたくさんなありますが、傾向として二つの種類があると考えられます。奇蹟や呪い、占いや預言によって人心をつかみ、祈りや祭祀によって神に願い神に報いようとする信仰と、己の罪、現在を自覚し修行によって己を解脱し悟りを得、心の平穏を求める信仰と。前者はマジカルで分かりやすく人々に受け入れられやすい。しかし、個人の願いや苦しみに答える宗教ではない。後者は人の心の苦しみに焦点をあて苦しみを取り除くために修行を求めるものだが、観念的で受け入れにくい。
日本では前者が神道、後者が仏教に当たる。神仏習合の始まりは日本が古代の未開社会から中世へ移行する中で必然的に起こり始めたものだった。単なる共同体がムラへと発展する。するとムラを治める者=権力者が必要とされる。人が人を支配するには支配する理由が必要で、そのために神が持ち出される。マジカルな宗教によって人心を把握し、神への捧げ物という名目で収穫物を上納させる。権力者はその一部を私財として富を蓄積する。
しかし言うなればこれは神の名をかたって私腹を肥やすことであり、そこに「神の名をかたり私有をする罪」の意識が権力者に表れる。権力者にとってさえ、神は支配のための道具ではなく信仰の対象であるのだから、私腹を肥やすことは神に対する裏切りであり、罰への恐れが発生することは自然のことだ。
「神の名をかたり私有をする罪」の意識をもった権力者は、己の罪を救う手立てとして仏教を取り入れる。しかし支配の仕組みとしての神祗信仰も維持せねばならない。そこで権力者たちは、神を仏教に帰依させるという方法で各地に神宮寺を建立し始める。
原始から古代、中世において世界理解の方法として神、神話が不可欠であった。世界は神のもので、神に感謝し神に祈り神に捧げ物をし人は生活の安寧を願った。そうして人が信じる神の名を借りて人を支配する。人を支配するためには神の名を借りて支配せざるを得ないのだ。支配する支配層は、一次生産を行わずに他者の生み出した利益によって生活する。つまり人類の文明にとって必然的に発生せざるを得なかった支配層が「神の世界を侵して生きる」ことが、やはり必然的に「神の世界を私有してしまう」罪をも引き起こすのだということだ。そしてその罪滅ぼしとして支配層は己の心の救う宗教を求める。文明が進歩し被支配層も豊かになれば、その罪の感覚は被支配層まで及ぶことになる。そうして己の心の救う宗教は発展していく。
つまり原罪や煩悩という思想は、原初的に人類の発展の中にあらかじめ組み込まれているもので、マジカルな神祗信仰の上をやがて観念的な仏教が覆っていくことは自然のことなのだ。そして支配の論理と支配者の心の苦悩の救済という二つの目的の違う信仰をまとめ上げるために考え出されたのが神仏習合という論理なのだ。
しかしよく考えればずうずうしい論理だと言える。神の世界を私有してしまう罪を自覚するのなら、私有してしまった世界を神に返すのが筋だと言えるだろう。けれども人類の発展、進歩はその逆戻りを許せなかったのだ。だからその罪を免罪するための宗教が導入された。結果人は神を殺し、世界の全てを私有し、人は免罪符を買って罪から免れ・・・そうして世界は今に至るのだ。今。いま。イマ。
こう考えると人が世界を殺す、神を殺すのは人という動物の宿命のようにも思える。人というのはそういうものだ。狩猟採集の時代から農業の時代へ。農業の効率化のために共同体が作られムラが生まれ。ムラを統治するために支配者と被支配者が生まれ。農業が富の蓄積を可能にすればそれを奪おうとする者が現れ。奪おうとする者からムラを守るためにムラが集まってクニが作られ。それらを維持するために税の仕組みが作られ。それを執り行う政治=権力が生まれ。権力の支配の論理として宗教が持ち出され。全ては人が安楽に暮らせるように。それを追い求めるのが人間という動物の活動なのだ。
そしてこのまま世界とともに自殺するのなら、それが人間という動物の、動物的な最後なのだろうと思う。人が動物でない、それ以上の存在だというのなら、人は違う道を歩き出せるのだと思うのだが、果たしてどうだろうか。