どうしてなにかしなければならないとおもうんだろうなあ。

なにもしなくてもいいのにね。なにかしなければと思うことなんてないのにね。でもやっぱり、ぼーっと時間を過ごしてしまえばなんだか損した気がするし、なにか積み上げていかなければ、あとに何も残らない気がする。でも、それじゃ損すること、何も残らないことがなんでいけないんだろう。なんで「いけない」と感じるんだろう。
きっと、いいんだと思う。なにもしなくても、何も残らなくても。なにかしなければならないこと、残さなければならないことなんて、きっとないんだと思う。でも何かを残したいと思うし、何かになりたいと思うんだ。そのためにはしなくちゃならないことはしなくちゃいけないし、努力が必要であれば努力しなければならない。
私たちは社会に試されているのだ。都市に生きるというのはそういうことだ。社会から「お前は価値があるのか?」と常に試され、その試しに対して答えを出さなければならない。しかし、社会という相手に対しての「試し」に納得できないことも多い。あるいはただ単にムカついているのかもしれない。
社会が成立する以前は、人は自然に試されて生きてきた。社会を作り、都市を作った今は、人は自然に代わって社会に試されている。人が人を試す以上、そこには割り切れないもの、あきらめきれないものが存在する。その試しはフェアじゃない。人は人であって神じゃないから。人が人を試し、要求し、答える世界。だから人は疲れてしまう。自分たちが作った社会の中で。
なら、逃げっか。そうすっか。うーん。