生きづらいたち 心に穴があいている/香山リカ

リストカットオーバードーズ。カイリ。ボダ。心に穴があいている。自分が引き裂かれている。ほんとうの自分、自分の核がない。こんな自分を生きている意味がない。いなくなったって、死んだってかまわない。
という人たちが、若者が増えている、という内容の本です。
死にたい、と思うわけではない。たとえばリストカット。自傷行為をする人たちは、自分が生きていることを確認するために自分の手首を切り、血を見る。死ぬために手首を切るのではない。オーバードーズもそうだ。死ぬためにたくさんの薬を飲むわけではない。ある意味、命を試しているのだ。自分が生きたいのか死にたいのか、試している。その結果、死んでしまったとしてもかまわない。でもできれば。できれば生きたいと願っているのだ。
自分が生きている意味が分からないのだ。自分の命に意味があると信じられない。今の日本は、生きるのに苦労しない場所だ。何もしなくても生きていくことが出来る。だからこそ、ただ生きているだけでは意味がないと感じる。自分がここにいる意味、自分の命の価値。満足。幸せ。手に入れても手に入れなくても、どちらでもいいようなもの。何もなくても生きていける。でも、満たされたいのだ。幸せになりたいのだ。でもどうすればいいのか分からない。底の抜けたバケツで水を汲もうとする行為に近い。結局はそうなのだ。底の抜けたバケツの、その穴を塞がなければ、いつまでも水をくみ上げることは出来ない。いつまでも満たされない。幸せには、なれない。
じゃあその穴とはなんなのだろう。いつどこでどうして、そんな穴があいたのだろう。誰があけたのだろうか。自分があけたのだろうか。それとも親が、友達が、それとも社会が、心に穴をあけたのだろうか。人それぞれの理由があるのだろうか。それとも今この時代に生きる人々の一定の割合の人間に共通に発症する病のようなものなのだろうか。症候群。
トラウマ?親には愛されたと思う。でも親の前ではいい子でいた。駄々をこねる子供はみっともないと思っていた。わがままは言わなかった。あまり。我慢していた。おとなしくしていなければ、と思っていた。子供のころはいじめられた。親の金を盗んで渡したりしていた。10万くらい。迷惑をかけた。なんの恩返しもしていないと思う。こんなおれが親に文句を言える筋合いはないが、でも甘えたいときに甘え切れなかった、いい子をやりすぎた、という思いはある。おれが勝手に感じていることだし、おれがそう思うのであればそれもまた本当だと思うのだが、でもこんなことを親に言うつもりはない。
毎日、ホームに入ってくる電車を見ると飛び込んでもいいかな、と思う。電車に飛び込む人は、運転士と目が合うという話を聞いたことがあるので、運転士の目を見てみようとおもい、いつも見つめてみる。もちろん飛び込まないけど、もしかしたらいつか飛び込むかもしれない。そしたら死ぬだろうし、死んだら、それはそれでいいと思う。よくはないけれども。
苦しまないで生きようなんてことは出来ないということは、頭では分かっている。生きることは苦しいことだ。それはそうだ。でも、頭に余計なものがくっついている気がする。それがいろんなところにぶつかって痛い。その余計なものを切り取って捨てたいと思う。でもどうやったら切り取れるのか分からない。周りの人がみんな、なにも思い悩まずに楽しく生きているように見える。もちろん、みんなそれぞれ悩みはあるだろうけど。
おれだけが苦しんで生きているのじゃない。それは分かっている。だけれども、一度でいい。誰かにすっかり自分の苦しみを話してみたい。それで何が変わるか分からないけれども、そう思う。

もしこのウザイ文章を最後まで読んでくれた人がいたらありがとう。こんなもの読ませてすいませんでした。