読書週間

久しぶりに小説を読みまくってます。最近は人に勧められて読むことが多い。自分の信頼している人のフィルターが一回通ってるから信頼できる。自分で探すのはなかなかしんどいですね。文体の感性が合う人を探すのは難しい。といっても、今回はメジャー級の作家さんばかりです。

容疑者Xの献身

容疑者Xの献身

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

イン・ザ・プール (文春文庫)

イン・ザ・プール (文春文庫)

手紙 (文春文庫)

手紙 (文春文庫)

容疑者Xの献身」これは東野圭吾の直木賞受賞作ですね。ミステリ界の人だとおもってたので、直木賞受賞したときにはちょっとビックリした記憶が。これはある意味ものすごい小説でした。人を愛する、人を守る、そのためにここまでできるのか…主人公の高校の数学教師の、計算尽くされた犯罪に感嘆…というのも違うな、なんかでもびっくりさせられます。そしてまた、人の心は計算し尽くせないものだというラストまで含めて、とても切ない物語です。
「東京タワー」は売れましたねー。うちの叔母から母が借りたのを又借り。リリー・フランキーの自伝的小説ですね。これはやっぱ男の人が読んだ方クル!と思うんです。男の人は多かれ少なかれマザコンです。母親…いやあえてオカンといいましょうか、オカンへの愛情というのは男の人にとってはすごく特別なものがある。小説の中で母が突然小さく見えた、というくだりがあって。それは子供に対して愛情を全て注いで抜け殻になったからだというような表現があります。オカンとオトンの愛情の違いというのは、それが定義付けされた愛情なのではなく、本能的な愛情だからでしょう。息子が何をしようと、どうなろうと、変わらず愛情を注ぎ続ける。それがオカン。まあ、そうでない例もあまたあるでしょうけど。リリーさんが世界の終わりよりも恐れた母の死のことを描いたくだりは、男として身につまされるものがありました。
イン・ザ・プール」は友達に借りて読みました。おかしな神経科医とそこを訪れる患者とのへんてこなストーリー。どこか筒井康隆を思い出させます。特に印象的だったのは「勃ちっぱなし」という話。ようはナニが勃起したままになってしまう男の話で。男は離婚しているのですが、浮気した妻に対して自分の感情を、怒りをぶつけずに離婚した。自分が惨めになりたくないために感情を、怒りを押さえ込んでしまった。その押さえ込んだ感情の代償として勃ちっぱなし…つまりナニが、怒らない男に代わって怒っているのではないかという。普段自分も感情を押さえ込みがちな性格なので、なんとなく自分のナニが心配になったりしました。全編不思議な話っつーかおかしな患者とおかしか神経科医の話でおもしろいんだけど、うーんと考えさせられるところもあり。これはシリーズになっているとのことで、他のも読んでみたいかな。
「手紙」は、「容疑者Xの献身」で東野圭吾を読めた、ということもあり、かつ「罪を償うというのはどういうことなのか」というテーマにひかれて購入。強盗殺人を犯し服役する兄を持つ弟が主人公。弟は高校3年生だったが、大学進学をあきらめ、住んでいたアパートも追い出され、寮付きのリサイクル工場で働くことに。それからも「強盗殺人犯の弟」というレッテルが、彼の人生から希望を奪い続ける。多少事実記述的で情緒にかけるきらいもあるが、逆に抑揚を抑え淡々と事実を積み重ねられる重さが、かなり厳しい。読んでいて「もうこれ以上不幸なことが起こらないで」と思いながら、しかし彼にはその後も様々な「差別」が襲いかかる。そうこの作品のテーマは「差別」だ。我々が日々行っている差別。誰しも人を差別しないで生きているはいない。理想論はいくらでも言えるが、現実に目の前に、誰もが差別している人が現れたら、あなたは他の人たちと同調せずに、差別せずにその人を受け入れられるだろうか?そもそも「差別せずに受け入れよう」と考えること自体が逆差別なのだ。そして、強盗殺人犯の弟は、自分が差別を受け入れざるを得ないことも含めて、兄が犯した罪の償いなのだと知る。そして彼は兄を、愛をもって差別する。そう、弟である彼こそが、兄をまず差別するべきだったのだ。愛をもって。というのが本書を読んだ感想。「差別は当然なんだ」という弟が働く社長の言葉が印象的。差別の無い世界はない。差別の無い世界は理想であって現実ではない。理想を唱えてみても現実が急に変わってくれるわけではない。だとしたらこの世界で、愛をもって差別していくしかない。罪の償いとして、差別を受け入れていくために。非常に思いテーマですが、一読の価値はあります。
今は、久しぶりに村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を読んでいます。読書は精神安定剤。テレビもパソコンも音楽も消して、もぞもぞと活字の森へ。静かな秋の夜です。