んで結局。

飲んでるし。でもビール2杯、串カツ5本だけですから。1400円ですから。駅前の立ち飲み串カツ屋のおばちゃんと常連のおっちゃんとは顔なじみになってきた感じだなあ。あそこで見るプロ野球中継はなんで面白いんだろう。家でテレビつけててもまともに見ないくせにね。いらいらして「いいや、プロ野球ニュースでまとめて見れば」「ネットで試合結果だけチェックすれば」みたいな感じになるのに。不思議だ不思議だ。
家に帰って飯を作る。昨日の煮物の残りと豚肉の焼き肉?ステーキ?みたいなんと、やっぱり残り物のサラダ。ちょっと食い過ぎた。ベッドの上に横になってそのまま寝そうになる。
起き上がって「ガイアの夜明け」を見る。JR西日本の列車事故が今回のテーマだ。単に列車事故のルポにとどまらず「経営の効率化と安全の追求は両立が可能か?」という、ああ親会社は日経新聞ですね、なテーマに持ち込んでいる。社会全体、とにかく余裕が無いというのは日本人誰しも感じていることだろうと思う。と同時に便利で安くて快適なサービス、商品を購入したいという欲求が、そしてそれを満たそうとする努力が世の中にあふれていることも、みんな感じていることだろうと思う。
誰がこんな社会を望んだろう?と思うし、ほんとにこんな社会をみんな求めていたんだろうか?とも思う。スローライフとか田舎暮らしとか、そういう「余裕レスな社会からの離脱」の傾向は、今後も加速するだろうと思う。若い世代のほうがより、そういう傾向が強くなっていくと思う。日本の国際競争力が低下するのは間違いないだろうし(少子高齢化先進国だからねえ。絶対的労働力が不足するのは目に見えていること)、新たな価値基準を求めて社会が変わっていくことは悪いことではないだろうと思う。
だけれど、日本がこのまま「ゆるやかな滅びの国」になっていくのはなんだかつまらない。社会の価値転換により余裕が生まれてくるのであれば、その余裕を何に使うか。その使い方ひとつで日本は尊敬されうる国になるだろうし、これから日本の後を追うであろう「少子高齢化先進国」のモデルとなれるかもしれない、と思うのだ。
なんて考えた後に、皿と鍋とフライパンを洗う。で、風呂はいる。体を洗うのがめんどくさいくらい疲れている。ただひたすら座り込んでシャワーを浴び続ける。肌の上に落ちるお湯が積もっている疲れを流していくのを感じる。けれども、疲れは結局とれきれない感じ。明日でお疲れミルフィーユ、3段目確定な感じだ。お風呂を出て、んでこうしていまiBookでベチベチと日記を打っている。まぶたが重いので、きっともうすぐ眠ってしまうのだろう…zzz