僕が人に優しくするのも、人を幸せにしたいと思うのも、悪いけど僕の勝手にさせてくれ。

ひとまず引用から。集英社刊ヤングユーコミックス「Papa told me」26巻 EPSIODE.138「ティードレス」より。

「僕は今を生きる天使として日夜 人を幸せにするという天使的活動を行ってきたのですが―」
「その「人々」というのは主に女のコですね」
「だから先生 誤解ですってば その活動をヘンな形で利用されちゃうって事態が起きまして」
「がっかりしちゃったのね」
「そうそう」
「でも利用した人がそれで幸せになったなら それで良くない?」
「いいんだけどさー こっちがきれーな気持ちで差し出してる好意は きれーな心で使って欲しいんだよね やっぱり」

宇佐美氏と知世ちゃんの会話です。興味があったらコミックス買って読んでみてください。宇佐美氏の生き方が好きです。自分のまわりには幸せな人たちがいて欲しい。だから宇佐美氏は天使的に人々に奉仕し、好意を与え、風通しの良い人間関係を作ろうとしている。自分の損得など考えない。でも無償の奉仕ではない。宇佐美氏は宇佐美氏なりのエゴイズムで、人に優しくしたり人に奉仕したりする。それはあくまでも趣味の問題なのだ。
ある意味これは押し付けなのだ。押し付けだけれども押し付けとは受け取られないやり方を、宇佐美氏は知っている。彼のおかげで人は心地よくなり、彼もまた彼の趣味として心地よく満たされる。それだからこそ天使として彼は振舞っていられる。
だけれども。受け取った相手によっては彼の優しさや好意や奉仕を違う価値観で受け取ったりする。たとえば教会がホームレスへの炊き出しを行う。教会にとっては善意の奉仕なのだがホームレスの中には「ただで飯が食えて儲けた」と思うものもいるだろう。感謝してくれる人ばかりではない。
宇佐美氏は感謝されたくて天使的活動をしているのではない。ただ優しさを与えた人が心地よくなってくれて自分のまわりで笑っていてくれれば嬉しい。それでもし感謝の言葉の一つも出たらとても嬉しい。ただそれだけだ。それだけなんだけれども、彼にとってはそれこそが重要なことなのだ。彼にとって人間関係に損得勘定を持ち込むのは貧しいことなのだ。
いくらでも与えるよ。優しさなんて。好意なんて。奉仕だって。僕の手から奪い取っていかなくたっていい。モノにしたからってそんなにがっつかなくたっていいんだ。そんなに焦らなくたっていいんだ。いくらだってあるよ。おなかがいっぱいになるまで食べればいい。満たされて、ゆったりとした気持ちで、おだやかに笑えるまで食べればいい。
僕は僕の趣味のために人に優しくしたり、幸せになってもらいたいと思ったりするんだ。僕の好きな人にまわりにいて欲しい。僕の好きな人がまわりにいて笑っていて欲しい。僕が人に与えられるものがあるなら、どうぞ好きなだけ持っていっていいよ。僕の周りにいるみんなが楽しければ、僕は楽しいんだから。そんな生き方を目指せたらいいなと思ってるむそーにとって、宇佐美氏の生き方は一つの憧れなのです。