火ぃ燃し。

ひぃもし。今朝目覚めてガスファンヒーターをつけたときにこの言葉を思い出しました。昔実家では、ゴミ処理といえば、生ゴミは堆肥に、紙くずなどはみんな家の前で燃やしていました。燃やしてゴミを処理することを、親父は「火ぃ燃し」と言っていました。子供だった僕と姉は「火ぃ燃し」が大好きだった。親父が「火ぃ燃しするぞ」と言えばいっしょにくっついていって火ぃ燃しを手伝って遊びました。枝に紙くずをつけて燃やして遊んだり、燃えるゴミをかき回して遊んだりしてた。子供は、火遊びが大好きなんです。寒い冬の火ぃ燃しはとくに楽しかった。よくその火で焼き芋をしました。真っ黒こげにやけたように見えるサツマイモは、一皮むくと黄金色でほくほくしていてとてもおいしかった。熱いからいつも親父がむいてくれてたなあ。あんな熱いものに触れる親父がすごい、と思っていたっけ。
火ぃ燃しを、ずいぶんしてないなあと、ガスがぼうぼうと燃える音を聞きながら思いました。いまはすべて区が、市町村がゴミを回収して一括処理する時代。各家庭がゴミを燃やして処理していた時代ははるか昔。いつごろから火ぃ燃しをしなくなったんだろう?おれや姉が火ぃ燃しに興味を示さなくなったのが先だったのか、それともゴミの回収が始まったのが先だったのか。記憶はおぼろげです。
それにしても、焚き火をしたりとか、とにかく「自分が直接火をつけて火を起こす」ということを長らくしていない。そういうことをしようと思うと、キャンプにいったりだとか大げさなことが必要になる。その辺でちょっと焚き火でも、というわけにはいかないご時世。なんとなく、寂しいような気もします。
昔は家庭でも学校でも、ふつうにゴミを燃やして処理していたけど、地球環境のことを考えると分別回収再利用、そして地球に優しい焼却施設での処理が必要な時代。勝手に焼却処理をしてCO2を増加させるにはいかないのです。でも、なんとなく火ぃ燃しが懐かしい。親父が起こす火を囲んで遊んだ日々。身近に炎を感じることが出来たあの頃を、いつの間にか失ってしまったのだと思うとちょっとびっくりするし、寂しくも感じるのです。