ハチミツとクローバー10巻

ハチミツとクローバー 10 (クイーンズコミックス―コーラス)

ハチミツとクローバー 10 (クイーンズコミックス―コーラス)

涙は涙であって、ただの生理食塩水であって、それ自体に美しいも汚いもなのだけれど、でも読後に、涙が溢れ、流れ、ほおを伝い止まなかった。そしてそれはやっぱり「美しい涙」だった、そんな気がします。

ずっと考えていたんだ
実らなかった恋に意味はあるのかって
消えてしまったものは 始めから何も無かったものと
同じなのかなって

ハチクロの最終話が、竹本とはぐちゃんの話で綴じられて、ほんとうに良かったと思う。やはりそこから始まった物語だったから。「実らなかった恋に意味はあるのかって」ということでもあるけれど、でもこれは恋だけじゃなくて、竹本自身の迷いや葛藤や創造や破壊や、そんなこともろもろも、きっと含んでいると思う。竹本が自分探しの旅に出て、やりたいことを見つけ、でも好きな女の子のことで迷いまくり、ぐらぐらと揺れて、当たって砕けて、それを拾い集め形作ろうとし、そして新たに旅立つこと。
旅立った先でも結局はまた迷いや揺れや創造や破壊があって、自分が壊れそうなほど悩むのだろうけど、でもそれらのもどかしい、効率の悪い、一見無意味かもしれない過程があるからこそ、「今ならわかる 意味はある あったんだよ ここに」と言えるようになる。その繰り返し。その繰り返しに意味はちゃんとあるんだと気がつけたから、竹本は「はぐちゃん 君を好きになってよかった」と思えたのだろう。
結局はそうなのだ。A地点からB地点に行くために、バス1本で行けたとしてもバス通りから見える河原にクローバーがあれば四ツ葉を探しにいってしまう。気になる女の子がいて立ち尽くしてしまったり、追いかけてしまうこともあるだろう、しかも逆方向に。A地点からB地点へ行くために、それらのことはとても効率が悪く、ムダで、もどかしく、なにグダグダやってんだみたいなことをたくさん含んでしまっているのだけれど。
それでも、その過程で出会ってきたものや、抱え込んだ悩みや、自分の価値観が崩壊しちまってまた創造しなくちゃだったりとか、そういうたくさんのグダグダ、たくさんのムダ、たくさんのもどかしさ、たくさんの悩み、そういうことには、意味はやはりあるのだ。そんな過程がなければA地点からB地点まで、そっこーでたどり着けたんじゃね?っていう正論を、どーんと棚の上に上げてしまって、声を大にして「意味はある!」と言えるのだ。
自分の心のおもむきに鈍感になってしまうこと。心のおもむきに鈍感になってしまった人間は、A地点からB地点までたどりつくのにウダウダとさまよい、悩み、逆行し、崩壊し、再構築し、またそれを投げ出そうとし、そんなんしてやっとこさたどり着いた竹本をきっと笑うだろう。でも心ある人はきっと気付く。彼の中にそういう過程があったからこそ、彼が強くなったこと、自分のひたむきさを磨いたこと、不器用さを肯定できる強さを身につけられたことを。そして彼の幸せを願うのだ。四ツ葉のクローバーをたくさん探して、たくさん探して、彼に渡したいと思うのだ。
話が前後するけど、野宮と山田さんの話もよかったです。

一緒にいよう ケンカしてもいいじゃない ちゃんと話をしよう? 全部はそれからだ

ああ、決まっているんだなあ、と。決まっているんなら、お互いの現状をも飲み込む覚悟をしたうえで、それでもその都度、話をしよう?っていう。正直ツラいし、飲み込めねーって思うことも多々あるとは思うだろうな、この二人は…これからもね。でもそういうツラさとかよりももっとツラいことがあることを、二人は知っているから。だったら飲み込んでやるよ、と。ボリボリと咀嚼して飲み込んでやろうじゃん、と。でも無理だったら吐き出して、もっぺん噛んで含め合おうよ、みたいな。その覚悟ってある意味すごい、と思う。常にウギャー!とかクッソー!の日々だと思う。だけど、だけどそれをやってこうよって、山田さんの手を引いた野宮は、かっこよかった。山田さんとの幸せを、やっぱり祈ります。
羽海野チカ様。連載おつかれさまでした。そしてこんなキラキラした、ザラザラした、チクチクした、ホカホカした、キュンキュンした物語を描いてくれて、ほんとうにありがとうございます。自分も然りだけど、たくさんの人たちがこの物語に自分を投影して、そしてきっと多かれ少なかれ、救われていると思います。羽海野さんが河原の雑草の中から必死で探してきた四ツ葉のクローバーは、みんなのところに届いて、きっとみんなを幸せにしています。ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。