坂井泉水と松岡農水相

坂井泉水の転落死のニュースに驚いていたら(がんだったことと40歳だったことも驚いたけど)、立て続けのように松岡農水相の自殺のニュース。大きな「死」のニュースに、なんだかなあ・・・と考えた今週。死って、自殺ってなんだろうねえ、と。
世の中には自ら死ななくてはならないような理由は存在しないと思うんですよね。結果的に自殺になった理由は「死んだら楽になれる」という以外の逃げ方を思いつかなかっただけで。止むを得ない自殺の理由なんてものはこの世に存在しない。
死ぬくらいなら全てを投げ出して逃げればいいんですよ。人はどこででも、どんなになってでも生きていけるんです。生きていさえすればどうにでもなる。恥をさらして、罪を認めて、金や仕事や愛を失って生きていくことは辛いし、勇気がいることだけれど。でも、生きていればどうにでもなる。光が射さない日が来ないわけがない。幸せや喜びを感じる日が来ないわけがない。
生きること、生き続けて自分の生を全うすることは、ほんとうに大事なことだと思うんです。自分の生を全うすることが、ただそれだけのことでどれほど尊いことか、と思うんです。生きていくことは楽なことばかりじゃない。辛いこともたくさんたくさんあるだろう。だけれども、生き続けてみた方が絶対にいいと思うんです。きっと自分の人生が終わるときに、なにか分かると思うんです。それは自分もまだ生きている途中なので分からないですけれど、でもきっとなにか分かるんです。たぶんそれは自分を納得させてくれることだと思っています。
人にとって大事なのは、生き続けることだけです。それは機会を増やすんです。なんの機会か。それは、今まさに生きている、と感じる・・・生きていることが喜ばしくて、幸せで、生きているという充足感に満たされる瞬間に出会う機会が増えるんです。それをたくさん感じるために、人は生き続けるべきなんです。そして自分が好きなこと、楽しいこと、やりたいこと、それらを意識的に選んでいくべきなんです。死んでしまったら機会もゼロになる。そして何も選べなくなる。いま楽になりたいために未来を全て葬ってしまう。それよりも。人はどうしてでも生きていける。そしてどこででも、どんなになっても「今まさに生きている」という瞬間を感じる機会に出会えます。そしてその時「生きていてよかった」と思えるはずです。
ここでこんなことを言ってなんの意味があるか分からないけれど、うん、これは自分のライフログ(人生の記録)だから、今こうして自分が考えていることをここに残します。将来、死にたいほど辛い思いをし、死を選ぼうとするかもしれない自分と、多くの人のために。