想い事。

はろー。実家のむそーです。実家のWindows98SEマシンから更新中。キーボードに指が慣れません。さて、実家の新聞は毎日新聞です。今朝毎日新聞をめくっていたらCoccoのコラム「想い事。」というのが載っていました。
最近は沖縄出身のアーティストが活躍する音楽業界ですが、常々思っていたことがあります。彼らは沖縄の米軍基地問題のことをどう考えているのだろうか?なぜ誰もそのことについて、メッセージを発しないのだろうか?ORANGE RANGEが米軍基地問題のことについて、メッセージを発信すれば、若い世代への理解はそれなりに広まり、世論も変わったりするのではないだろうか、と。
Coccoのコラムのなかで、米軍基地のことが語られていました。沖縄出身のアーティストが米軍基地問題について語っている初めての例を私は見ました(寡聞のため知らなかっただけかもしれませんが)。
コラムの中でCoccoはかつて「あの人と出会っていなければ私は今、存在していなかっただろう」という男性のことについて語っています。その人は米国軍人と沖縄人の間に生まれたアメラジアンだった。そして「基地の存在を否定することは彼の存在を否定することだった」と語ります。だからこそCoccoは今まで「"YES"も"NO"も私は掲げてこなかった。」という。その想いは…あとは引用させていただきます(問題があれば削除します、お知らせ下さい)。

”YES"も"NO"も
私は掲げてこなかった。
こんなの戦時中で言うなら
間違いなく非国民だ。
でも、"YES"か"NO"かを
問われることは
残酷だという事を知ってほしい。
返還とは、次の移設の始まりで
基地受入れのバトンリレーは
終わらない。
どこかでまた
戦いが始まるだけのことだ。

生まれて初めて
私は、はっきりと願った。
あの出会いを失くすとしても、
あの存在を
否定することになっても。
馬鹿みたいに叫びたかった。
たとえばその全てをチャラにして
能天気に鼻歌なんか歌いながら
高い高いあの空の上から
ただ"I LOVE YOU"を
掲げて。
私たちの美しい島を、
"基地の無い沖縄"を見てみたいと
初めて、願った。

じゃあ次は誰が背負うの?

自分の無責任な感情と
あまりの無力さに
私は、声を上げて泣いた。

誰か助けてはくれまいか?

夢を見るにもほどがある。
私は馬鹿だ。
ぶっ殺してくれ。

"YES"か"NO"かを問われる残酷。基地受入れのバトンリレー。誰かに背負わせ、基地の無い沖縄を手に入れること、その願いの正しさと、裏腹にある無責任さと。
「誰か助けてはくれまいか?」現実とはかくも過酷だ。願いは正しいくせにいつも非現実的で、無力さに苦しめられる。沖縄の人たちが米軍基地問題についてデリケートな感情を持っていること、それに対する自分の無知を自覚させられた、Coccoのコラムでした。