現在4冊並行中。

今日は友達と調布で呑みの予定だったんだが、その友達が携帯を持たない人なのね。なので彼からの(あ、男ですよ)公衆電話(!)を待っていたんだが・・・ま、とりあえず暇つぶしの定番、本屋さんへ。パルコ5階のリブロポートでぶらぶらしているうちに気がつけば2冊の本を手に。現在、笙野頼子の「硝子生命論」と石川淳の「新釈古事記」を読んでるので計4冊並行読書になってしまった。とりあえずパルコ1階のカフェで電話待ちつつ読みふけり。集中して読んでたので手付かずのアイスコーヒーはグラス表面にじっとりと汗をかいておりました・・・。
今日買ったのは岩見隆夫「陛下のご質問 昭和天皇と戦後政治」と高橋哲哉靖国問題」。
むそーは天皇陛下万歳の人ではないですが、昭和天皇という人間には興味があります。戦前と戦後、まったく異なる二つの時代に、かたや絶対の権力者(傀儡ですが)として、かたや人間天皇として(そして象徴として)生きた昭和天皇。この本では戦後政治において昭和天皇の存在はどのような位置にあったのか、どういう影響を与えたのか。毎日新聞の政治部記者として政治報道、そして天皇報道の近くにいた岩見氏が歴史をひもといております。
興味深いのは昭和天皇が中国や韓国に対して非常に強い贖罪感を抱いていたということ。また、総理や大臣などが内奏の中で報告する政治や外交などについて、天皇自身が非常に勉強しており、都合のよい説明や報告を指摘することがあったということ。
昭和天皇は、自分が過去、宰相や軍部に担がれるままに戦争を主導し、自国民はもとより、中国や韓国に多くの不幸をもたらしたことについて、強い自責の念を持っていたのだ。昭和天皇は沖縄、中国、韓国への訪問を強く希望していた。しかし天皇による外交という政治利用として中韓への訪問は考えられ、象徴天皇制という強烈な反動のもとに実現することは無かった。特に沖縄を気にかける質問は多く、常に「沖縄はどうかね」と言っていたという。
昭和天皇に内奏した外務省情文局長・三宅和助は、昭和天皇に3つの印象を抱いたという。その3つとは・・・1・非常な勉強家、2・ハト派的発想、3・国際協調主義、とのこと。
かたや現在の日本は、憲法9条改正や北朝鮮に対する経済制裁などタカ派的発想が目立ち、国際協調にいたっては、アジアの中でさえ相変わらずの不協和音。アメリカ一辺倒の外交政策・・・すでに何か、決定的に間違っているように思えてならない。もしかしたら日本はまた過ちを繰り返そうとしているのではないか・・・。昭和20年8月15日午後、終戦の大役を果たした鈴木貫太郎首相を「ご苦労をかけた」とねぎらったその言葉にこめられた自戒の念は、私たちがこれからも共有していかなければならないもののはずだ。
そして「靖国問題」である。この本を買ったのは、靖国問題がこれほど大きな問題になる「構造」を知らないから、である。個人的にはA級戦犯を合祀する靖国神社に首相が参拝することには疑問を感じる。靖国神社は戦死者を神格化する場所であり、戦死者を追悼し不戦の誓いを立てるところ、とは思えないからだ。お国のために命を落とした者は靖国神社に行き、奉られ敬われる・・・そのような思想背景があるところが「不戦の誓いを立てる追悼施設」とはとても言えない。別途、国立の追悼施設を設け、自国民ならずアジア諸国民の犠牲者を追悼し、不戦の誓いを立てる施設を設けるべきだ。
だが、そうはできない事情があるのだ。そして首相もまた靖国神社を参拝しなければならない理由があるのだ。だからこそ、中韓の国民の反発を招くことが分かっていながら、首相の参拝が行われるのだ。その理由はなんだろう?それはいわゆる戦没者遺族の意向、だろう。ただなぜそれがそれほどの力を、国際問題に亀裂を生じさせてまで首相に意向を尊重させるだけの力を持っているのかが分からない。
私たちはどのように終戦をしたのか。どのように戦争犯罪を処理したのか。そしてなにをウヤムヤにしたまま残してしまったのか。それを見極められないからこそ、正しい世論が生まれてこないのだ。自分たちでケジメをつけられないのだ。中韓の国民と日本人にどのような歴史認識のズレがあるのか。そしてそれは何を理由にしてズレているのか。何を償い、何を償わなかったのか。歴史を知る必要がある。正しい歴史を知る必要がある。ズレているなら中韓の国民と日本人が話し合い、そのズレを詰めていく必要がある。そうしてお互いのズレを認識し、理解しあおうとする必要がある。
そんなことを考えながら買った2冊の本です。またこの話は書きたいのでいずれ。