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涼宮ハルヒの消失

涼宮ハルヒの消失を見てきました。ところで涼宮って姓の人は現実にいるのかな。涼宮って入力すると絶対「涼みや」ってでて「みや」を消して「宮」って打たなきゃならないよね。ああ、めんどくさい。
さて、むそーのハルヒ歴はアニメの1期を通して見てる程度。ノベルも漫画も読んだことがない。2期も見たことがない(これは失敗だった。少なくとも「笹の葉ラプソディ」は見てから行くべきでした)。
あらすじは、まあどこまでネタバレになんのかな?まあここ(http://www.kyotoanimation.co.jp/haruhi/movie/story.html)見れば分かるかな。
ではあくまで上のようなスペックの人間が見た映画の個人的な感想を。とにかくハルヒが消失したあとのキョン、これがよかった。自分はどうしてもハルヒに会いたいのだ、と気がつき、しかしハルヒに会うことができない自分にいらだち、焦れる。その思いが募る感じはすごく…こう、グッときた。だからこそ、ハルヒと再会でき、改変された世界でもSOS団を作ろうとするハルヒを見て、いつものハルヒの姿に安堵するキョンにすごく共感を覚えた。
しかしハルヒの役割が、古泉、みくるちゃんを集め、改変された世界の脱出プログラム起動の鍵集めでしかないことに、ちょっと不満足。ハルヒが出てきて、その行動力でメンバーを集めて、そこからハルヒの活躍はなにもないの?改変された世界の再修正に、ハルヒはそれだけしか絡まないの?もったいない!と思ってしまった。
これじゃハルヒが狂言回しというか物語を進める為のご都合キャラに見えてしまう。せっかくハルヒが登場したのだから、そこから予定調和でない展開を見てみたかった。せっかくキョンがあれだけハルヒに会いたいという思いを募らせていたのに、あっさりしすぎで不完全燃焼な感じがする。ていうかハルヒの出番少なすぎるよ!
世界の改変そのものも、その世界からの脱出プログラムも、そして世界の再修正の方法も、全て長門によって用意されてる。ストーリーのブレークスルーが、全て長門依存。全ては長門の思いによるもの、というその重みと、キョンによるその解放が物語の軸であるのは分かるのだけど、でもそれだけじゃ、ストーリーの振れ幅が小さ過ぎる。予定範囲内の小さなプロットで進行する、ご都合主義というかあらかじめ用意された机の上の組み立てだけの小さなお話になってしまっている。せっかくの大スクリーンでの、長尺の映画なのに。
作品世界を壊すようなお祭りをしないで話を成り立たせるという試みなのかもしれないけど、でもせっかくの映画、せっかくの長尺、もっとカタルシスを!と求めてはだめですか?ハルヒという騒動屋が狂言回しですよー、という前提で、物語の展開は全て長門に依存し、テーマはキョンのモノローグで全部説明。これじゃちょっとお話として小さすぎる。
また全体にキョンのモノローグが多すぎる。もともとそれが持ち味でもある作品ではあるけれど、単なるファンのための映画を超えるのであれば、言葉だけでの説明ではなく、もっとキョン、ハルヒ、長門の関係性を描くことで説明して欲しかった。そこにピントを絞って描けば、長門の暴走にいたる思い、キョンのハルヒへの思いと長門へのいたわり、そこらへんが深まったはずだ。
世界はなぜ改変されたのか。改変された世界はキョンに何を迫るのか。改変された世界は再修正できるのか。この3つに答えにそれぞれカタルシスを持たせて昇華させたら、もっといい映画になったと思うんだけど。
さて、でもキャラクターたちが魅力的なのは相変わらずで、結局帰ってまた涼宮ハルヒの憂鬱を見直してしまったしね。だからそれなりには楽しんだのだと思います。