非リア充のための音楽としての

HIPHOPとアニソン。何で自分がHIPHOPやアニソンに惹かれるのか、そしてなぜHIPHOPやアニソンは近しい場所にいるのか。それはやはり、どっちも「非リア充」のための音楽だから、ではないでしょうか。B-BOYもアニメオタクもいわゆるテレビや世間が喧伝するリアルに乗り切れなかった人たちなのだと思います。

毎週末の金土の テレビドラマの中後姿 見つけられなかった仲間たちのため
Kick the verse 歌詞蹴っとばす まるでストレス飛ばすジェットバス

RHYMESTER/B-BOYイズム

自分がHIPHOPに惹かれ、またこうしてアニソンに惹かれている気持ちを思うとき、思い出したのがB-BOYイズムのMummy-Dのこのverse。辺境にいる者たちのための音楽なんですよね。B-BOYたちは深夜のクラブに、アニメオタクたちは深夜深いアニメ枠にしか、それぞれ居場所を見つけられなかった。ゴールデンタイムのトレンディドラマ(笑)の中には居場所を見つけられなかったのです。そしてテレビや世間が示してくるリアルにひたっても、とても充実できなかった。そんな感じがするのです。
日本語HIPHOPも、導入当初から日本人にラップができるわけがないとか、所詮駄洒落の羅列とか、その画期的な音楽性に反してJ-POP(笑)の中では蔑まれてきたものだし。それがやっぱりオタクが蔑まれてきた歴史と精神性にぴたりと重なる。B-BOYイズムの歌詞を読むとこれをA-BOY(AKIBA-BOY)イズムと読み替えることもできる気がしてくる。

そこのB-BOYのwannabe boy 君だ聞こえたら即答しろ
畑違い人間違いってか? わかったから黙ってな
目クソ鼻クソのカテゴライズ 耳クソの価値もない

RHYMESTER/B-BOYイズム

ここなんか、オタクがライトオタク(笑)に対して抱く悪感情そのものって感じ。なんだこのシンクロ率の高さって感じがしてしまう。だからこそニコニコでAB-BOYイズムなんてタグと定義が生まれたりするのだろうな。
自分はこういう「辺境の者のための音楽」が好きなんだ。どうしても中心より辺境へ辺境へと興味がいってしまう。もちろん中心も否定するわけではないけれども、やっぱり辺境の者のための音楽、HIPHOPやアニソンに「自分のための音楽だ!」という愛を抱いてしまう。さらに電波ソングとかもっと辺境へ向かって音楽を探すたびに出るんだろうなあ、自分は。それに気が付いたので、こんなエントリを書いてみました。
ニコニコ大百科 AB-BOYイズム統一タグとは http://dic.nicovideo.jp/a/ab-boyイズム統一タグ

B-BOYイズム

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