しづ心なく花のちるらむ

花見に行ってきました。桜どころかいろんな花がとめどなく咲いていて感動!

チューリップが手前、奥に桜。
チューリップが19万球も植えられているそうです。品種もいろいろ。バラもそうだし梅もそうだけど、品種改良がさかんな植物ですよね。チューリップも。そういう品種って名前が面白いですよね。チューリップも面白い、興味深い名前が多い。



桜はもう散りまくってましたが、チューリップはまだまだ見ごろが続きそう。

桜の園は、ザ・花見なひとたちがたくさん。バトミントンやキャッチボールやサッカーのボールも錯綜しまくってます。



ポピー畑・菜の花畑もきれいです。なにしろ国営昭和記念公園は広々してる。あー、peaceですね。



こちらは日本庭園の枝垂桜。
桜の花びらが散るさまは、まあ言い古されていますがはかなげな光景。桜の木の下に死体が…なんて言いますが、やはりいずれ散る定めと知りながら咲き誇る桜の花に、人は無常を感じるのでしょう。
朝日新聞の土曜版「高橋睦郎 花をひろう」という記事に、桜の花を稲の花の象徴と見て、散るのを防ぐ祭祀行事があり、それがのちに花が飛び散るのを疫神(疫病神)が飛び散る現われと見てそれを沈める鎮花祭というまつりとなったと記事がありました。
あれだけ盛大に散る花というのは桜しかありませんし、昔の人もそれにどこかしら不気味さを感じていたのでしょう。花散るさまを不気味と思うのはあとは椿くらいでしょうか。ポトッと落ちるのが首が落ちるのに似て、と。
京都紫野今宮神社境内疫(えやみ)神社の安良居祭(やすらいまつり)がその鎮花祭、「はなしずめのまつり」としてとりわけよく知られているとのこと。「やすらえ、花よ」と称え言を繰り返しながら、疫神を厄払いの祠に追い込む。紀友則百人一首「久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」も「やすらえ、花よ」の言い換えとも取れる、と高橋睦郎氏の記事にある。
桜が散るさまにこの世ならざる不気味さを覚えながら、1000年以上の時、毎春を迎えてきた日本人。毎年散る定めと知りながら、咲き誇る桜を愛で、散る桜を惜しみ、そして散り終えてしまえばどこかほっとするような、奇妙な気持ち。この気持ちの機微こそが、桜を日本人を象徴する花としているのでしょう。