生物と無生物のあいだ/福岡伸一

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

読了しました。分子生物学の研究がたどりついた世界を平易に解説している良書ですね。この手の専門分野のもので一般向けのものにしては、非常に「前提感(前提を当然のように持ち出されてついていけなくなる)」がなくて、読みやすかったです。分子生物学者が新たな発見にたどり着いた際に感じるドラマチックさを一般の人にも伝わるように、うまく描いています。
福岡氏の提示する「生物とは動的平衡状態を維持し続ける存在である」という考え方は非常に面白いですねー。生物とは常に欠損しつつ、常に完成し続ける存在なのだ、と。欠損は確かに生物には有り得べからざる障害だけれども、それを含め平衡状態を保つために生物はその欠損を穴埋めする迂回的方法を作り出し、また平衡状態を維持する。欠損が起こり得ることを想定し、柔軟に機能を変化させ欠損を補填する、そこまで含めて生物の「動的平衡系」なのだ。
機械などの無生物の場合は、一つの欠損が起きれば機能は停止し、他の部品が連携しバイパスし、代わりの機能を果たすことなど有り得ない。部品の一部が壊れればそれを取り替えるしか、機能を回復する方法はないのだ。そこが決定的に生物と無生物の違いであり、その意味で生物はやはり機械ではない。機械ならば一部の部品を壊してしまえば自然に機能は回復しないが、生物は一部の遺伝子、一部のたんぱく質が損傷してもそれらが担っていた機能を他の方法で代替し、平衡を動的に維持するのだ・・・。
この「動的平衡」という考え方・・・常に欠損しつつ、常に完成し続ける・・・新たな欠損と新たな完成を繰り返しながら生物という系が維持されていく・・・は、非常にダイナミズムにあふれた考え方だ。生物がなぜかように多種多様に発展・進化し得たのかを裏付ける考えだろう。そしてこの動的平衡というのは、生物のある一部=一時点だけを捉え、切り離してありようを説明できないという意味において、ある種量子論的な絶望・・・原子分子のすべてのエネルギーと動きを同時正確に把握することは出来ない・・・に似た絶望も感じます。
それにしてもこの、欠損と完成を繰り返しながら動的平衡を維持しながら生きていく生物という系は、問題の発生=混沌と問題の解決=秩序を繰り返す人間社会という系にも似たものではないだろうか。そういう観点で動的平衡という系を世界の「見立て方」として考えていく視点は、やはり人間社会の捉えかたにパラダイムシフトを起こし得るものではないだろうか。