SNSは「ハードル」である

SNSは「ハードル」である。

とあるWebサービスを使おうとすると「Twitterでログインする」「Facebookでログインする」「Google+でログインする」…youtubeを見ていても「実名を使用してください」…SNSを使っていない者はWebサービスを利用することができない。または利用するには余計な手間をかけさせられる。

なぜ自由なインターネットにこんな「ハードル」が生まれたのか。人はなぜSNSによってつながることを強制されるのか。

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…強制されたのではないだろう。SNSは人々が求めていたものだ。不特定多数の人々が唐突に、ダイレクトにつながる。このことの方がよほど人々にとって高い「ハードル」であった。いきなり見も知らぬ人よりメールが来る。掲示板に書き込みされる。個人のWebサイトで大事に育ててきたコミュニティが荒らされる…こういったことに人々は悩んできた。

人々は自分の家の玄関に鍵をかけたかった。意気が合う者だけを招き入れ、そうでない者には扉を閉じられ中も覗かれないようにしたかったが、個人でそういったシステムを運用するのは難しかったし、そういった知識が必要だということそれ自体が、人々がWebに参加する「ハードル」になっていた。より簡単に安心に人々がWebに参加し、人々がつながり、コミュニティをコントロールできたら…その思いがSNSというWebサービスを生み出した。それは誰もがWebに参加する時代に必然的なサービスだった。

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いまや多くの人々がSNSを使う時代である。

ソーシャルメディアの利用状況 : 平成23年版 情報通信白書

総務省の上記白書によれば1つないし複数のSNSを使う人は全体の42.9%。このような数値であれば実感ではほぼ100%、まわりで使ってない人いないよ、という人もいるだろう。

こうなってくれば当然、Web全体が「SNSを使用している人がアクセスしている」という前提で構築されてくるのは必然だろう。いまやどのポータルサイトを見ても、SNSと連携するためのボタンが各Webページについているし、大企業のほとんどはFacebookページを持っている。Webサービスへのログインもいまや独自のアカウントの他にFacebookアカウントで行えるようになっているWebサイトも増えた。

World Wide Web全体がSNS readyの状態へなっていくにしたがって、果たしてそのWebサービスはSNSと連携させる意味があるのか?と問いたくなるものもある。しかしそんな問いも無意味かもしれない。意味があろうがなかろうが、「人々のつながり」という資産に割り込めるなら、Web世界はSNS readyに塗り替えられていくのだ。

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そうしてSNS readyに塗り替えられたWeb世界は、ほんとうは人々の心のなかにあっただけの「ハードル」が、完全に具現化した世界である。そこに完全に具現化した「ハードル」がある。なぜ「ハードル」があるのかはもう忘れてしまったがどうやらその「ハードル」を超えなければWeb世界には入れないようである。儀礼的にTwitterアカウントとパスワードを、Facebookアカウントとパスワードを入力する人々。

人々の心の不安が神や仏を生み出し崇め敬うようになったのに、いつしか神をかたどっただけの偶像を崇め敬ったり、意味も知らず念仏を唱えるだけになる。そんな感じに似ていないか。しかし、私たちのWeb世界はだんだんに、信仰などなく形式的にでも神の像を崇めたり念仏を唱えたりしなければ、欲しいWebサービスを使えない世界になっていくのだ。

形骸と知りながらやはりSNSアカウントの一つも持たなければ生きられない。私たちはもはや自由な(無法な)Webの楽園から追放されつつあるのだろう。人々は「つながりたい」という欲求によりコントローラブルなWeb世界の支配下におかれるのである。