読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

原発に関連して

チェルノブイリ原発事故 (クリスタ・ヴォルフ選集)

チェルノブイリ原発事故 (クリスタ・ヴォルフ選集)

朝日新聞に連載している、大江健三郎の定義集でこの本を知り、読んでいます。ドイツの文学者が体験したチェルノブイリ原発事故を、同時進行している、弟の脳外科手術の様子と交互に著述した小説です。
読んでいると、福島第一原発の事故はチェルノブイリ事故とは違う、などと思っていた過去の自分が恥ずかしくなります。人類はチェルノブイリの事故から何も学ばなかった。東電も、日本政府も、われわれも。チェルノブイリ事故の時と同じように慌てふためいている。
想定外の事故と繰り返し特殊事例としてしまえば、また原発事故は世界のどこかで起こるでしょう。チェルノブイリの時も、IAEAは特殊な事故として扱い、何も学ばなかったのですから。チェルノブイリの時さえ、ソ連の科学者は1万年に1回の確率でしか起こりえない事故だったと言っているのです。チェルノブイリの事故、あれからもう1万年も経ったのでしょうか?
もしかしたら原発が正常に、安全に動いていることのほうが奇跡なのかもしれません。福島の次の事故を起こさないためにも、私たちは脱原発への歩みを進めなければなりません。
もう1冊。
風が吹くとき

風が吹くとき

イギリスの片田舎でリタイア後の余生を過ごす夫婦。世界情勢は戦争へ向かいつつあり、核戦争の恐怖が現実となりつつある。夫は政府のパンフレットにしたがい簡易の核シェルターを作り備えるが・・・
「政府の指示にしたがって(中略)ちゃんとしたことをしなくっちゃ」と、馬鹿馬鹿しげに見える対策をとっていく夫。結局核戦争が始まり、そんな簡易シェルターなど役には立たず・・・政府の救援が来ることもなく、最後は神に祈ることしかできない。
原発事故での政府の信用ならなさが、この本を思い出させました。子供の頃、一度読んだ本だったのです。政府など、国などあてにはならない。最後には自分で決めるしかない。ならばこの私たちが形作っている国とはなんだ。なんの意味がある。ずっと前から当たり前に在りすぎている、この国という存在は、個人にとっていったいなんなのか。そんなことまで考えてしまいます。