日本人の戦争におけるまじめさ

昭和館に行ってきました。
昭和館 | National Showa Memorial Museum
国立の、戦中戦後の労苦を伝える博物館です。国立の施設だと思ってなかったのでちょっとびっくりした。靖国神社にある遊就館に近い、右寄りな施設かと勝手に思っていたので。
前ふりとして、先日新橋にある旧新橋停車場・鉄道歴史展示室に「石川光陽写真展」を見に行ってきて。昭和初めから戦中戦後の東京を撮影した警視庁カメラマンの写真展なのですが、彼の写真が昭和館にたくさんあるということで、昭和館自体も気になっていたし行ってみた次第。
昭和館の展示は昭和の初めのころの暮らしから、国家総動員法の成立、食糧など配給制となる統制下の暮らし、戦後といった形で展示。
その中でいかに国家総動員法によって物資も精神も戦争に総動員されたか、そしてそれに国民が非常に緻密かつ真面目に取り組んで戦争に臨んだかということが感じられた。そう、日本人の緻密さ・真面目さ・勤勉さがあったから配給制や金属供出や灯火管制など、統制下の暮らしが真面目に遂行されたのだ。
たとえば戦費を捻出するための貯蓄奨励だ。下記は大阪市の隣組回覧の文言。

手持ちの現金は残らず貯蓄しませう
大阪市民の貯蓄の責任額は今一息頑張らねば達成出来ません
この際三百万市民は
一、いま差当たっていらない手持ちの金は全部一応貯蓄して下さい
二、是非入用な品物でも来月まで買うのを延ばして、その金を今月は兎も角も貯蓄して下さい
この貯金は郵便局でも銀行でもどこへでも自由に預けて下さい
大阪市

非常に生々しい文章である。とりあえず戦費が足りないからとにかく貯蓄しろ、と。平時の今これを読むとこんな馬鹿馬鹿しいことが真面目に行われていたんだ、とびっくりするが、たぶん近い未来再び日本が戦争を始めれば、物資も金も不足することは目に見えていて、取るであろう手段は似たようなもので、そして日本人の緻密さ・真面目さ・勤勉さは、戦争のために同様にいかんなく発揮されるだろうな、と思う。
下記のポスターの文言もすごい。そして怖い。

もっと働きもっと切詰め断じて360億を貯蓄せむ
見よ!力強きこの貯蓄力
明治初年から支那事変迄にわれわれは460億円の貯蓄をした
それが支那事変勃発以来 この3月(昭和19年)までの6年9ヶ月に
堂々1000億円を突破したのだ

日本人の緻密さ・真面目さ・勤勉さが高度成長とこの平和かつ安全な社会とガラパゴスと呼ばれるような独自の社会を作ったように、このエネルギーはきっと戦争になればいかんなく、先の大戦と同様に戦争を推進する。日本という国の本質、日本人という民族の本質はきっと変わっていないのだ。私たちはまた間違う可能性がある。間違った道を非常に緻密かつ真面目に、勤勉に邁進するだろう。
統制下の生活は、平和な日本の自分から見ると呆れるようなことばかりだ。たとえば陸軍獣医学校研究部が「食べられる野草」なんて本を出版したり、学徒勤労動員が昭和20年3月には全学童・学徒の69.2%にあたる31万人余に達していたり。煙草を包む銀紙までお国の為と供出したり。また日本が戦争を始めれば、同様の悲惨が訪れるだけだろう。
戦争が終わり、しかしびっくりしたのは、そこにもやはりちゃんと秩序があったこと。緻密で真面目で勤勉な日本人がいて、秩序がある程度保たれていたことだ。
たとえば、戦後になってもちゃんと軍を除隊とする旨の召集解除の証明書が発行されたり、帰郷する引揚者に郷里の駅までの引揚者乗車票が無償で発行されたりしていることだ。遺族に対しても遺骨の受け渡しを伝える遺骨伝達案内状が届き、遠方へ遺骨を受け取りに行く者には遺族旅客運賃割引証が発行されている。鉄道も動いていたし検札もちゃんとしていたということだ。
しかし、当然国民は飢えており、下記のような文言のビラが巻かれ集会が開かれる。

餓死対策国民大会
冬が来るぞ!餓死が来るぞ!
配給量の生活は墓場への道だ!
世界史未曾有の二千万同胞の餓死を政府はどうしてくれるんだ!

ほんとうにこのくらいの規模で餓死の危険があったということだ。人々が復興し始めるのはその後、食糧配給制度は昭和26年まで続きやっと、食糧配給公団は解散する。
そしてふと思う。高度成長を成し遂げた日本人の力とは、やはり戦争を戦い抜いたあの緻密さ・真面目さ・勤勉さなのだ。そしてその力は、衰えていると言われているけれども、やはり現代の日本人にもつながっている力だ。その力の使い方がまたも時代に左右されることになるのならば、私たちは緻密で真面目で勤勉なバカだというべきだろう。