Twitter、無防備に影響を与えあう場

Twitterってなんだろう、ってことを最近考えます。

Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y)

Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y)

こんな本を読んだりして、メディアやビジネスへの影響力については分かるけれども。そうではなくて、普通の市井の人々の日常の素朴なつぶやき。これを垂れ流す意味が分からない、ってことでTwitterに手をつけない人は大勢いると思います。ブログもそうだと思うけど、自分の大したことない日常で別に書くことなんかないよってブログやらない人も多いでしょう。
でもそういう人こそ、Twitterはやるべきだ、とむそーは思います。Twitterでこそ、個人の大したことない日常をつぶやいていく意味がある。
むそーはどんな人も「自分とは違う人」というだけですべて価値がある存在だと思っています。よく私は一人で飲みに行くことが多いんですが、同じく一人飲みの人とふと話したりすることがあるんです。するとそれがなかなか面白い。仕事の話、故郷の話、旅行先での体験話・・・ふつうのサラリーマンやただのおっちゃんのように見えて、実は人はいろんな引き出しを持っているものです。
でもそういうことを実感できる機会って実は普段生きている社会の中で、実はあまりないんです。会社の仲間や学校のクラスメートなど、恒常的に会う機会がある人で、親しくなってそういう個人的な話を聞く機会がやっと出てくるけど、見も知らぬ他人から、個人的な話を聞くなんて事、まずはないでしょう。
しかし「世の中には自分と違う人がたくさんいる」これを実感できるのがTwitterという場だと思います。世の中にはいろんなこと考えて、いろんなことやってる人がうじゃうじゃいるんだなあ・・・と、私はいつもTwitterのTL(タイムライン)を眺めて思っています。そしてそういう人たちの影響を受けて自分も今まで考えたことがないことを考えるようになったり、興味を持たなかったことに興味を持ったりします。
そしてあなた自身の「大したことない日常」でのつぶやきも、他の誰かに対して、考えに影響を与えたり、興味や行動への動機付けになる可能性がある。そういう可能性を持った場がTwitterなんです。
「人」って社会という場において「関係」を媒介する媒介物質だと思うんです。「音」を媒介する「空気」にあたる存在。「人」によって「影響を与え合う関係」が社会の中で媒介されるんです。Twitterは例えるなら超巨大な水面みたいなものです。その水面に「つぶやき」という水滴が落とされる。大きな波紋を作るつぶやきもあれば、小さくすぐに打ち消される波紋しか起こさないつぶやきもある。でもどんな水滴でもその複雑に波打つ水面の状態に影響を与える必要な水滴であることは確かなんです。
自分のつぶやき、一滴には価値なんてないと思わずに、まずはどんどんつぶやく。そして影響を与え合う関係となる場を広げるため、どんどんフォローする(Twitterは断りなく他人をフォローしてOKな文化ですから)。そうすることで、あなたのTwitterのTLは、リアルな社会を補完し拡張する存在になる。
普段すれ違い、なんの影響も与え合わない、あるいは与え合うことの少ないたくさんの人々。そのたくさんの人々が、自分とは違う考えや興味や行動を持っている人々だと気づき影響され、そして自分もまた相手からそう思われ、影響を与えうる存在だと気づく。誰もがなにがしかの存在であり、また自分もその一人だと思えば、たくさんの人々が社会を構成するただのパーツではなく、まさに「個人」だと感じていけるようになるのではないか、と思います。そうしたら、そうしたら個人たちになんらかの愛を感じ、愛のある配慮や言葉をかけられるようになるでしょう。
私の好きなラジオ番組、TBSラジオの小島慶子キラキラのパーソナリティ、小島慶子さんの言葉をここで引用します(週刊アスキー2009 7/7 「え、それってどういうこと」)

だけど人って自分のことを真に理解していない人のなにげないひと言に、救われることもあるでしょう?
そう。すごく落ち込んでいるときも、会社ですれ違ったちょっと顔見知りのおじさんの「おう、がんばってね」っていうひと言で、なんとなく今日やっていけるかも!って思えたり。
あるでしょ?そういうことで人って意外と、今日から明日へ細い糸をつないでいくことがあると思うの。だけど、主婦にしても母親にしても、それぞれの生きてている場所尾で、そうやって無防備になにげなくおたがいを知らぬ間に助けあう関係というのが、成立しづらくなっているっていう実感があって。

この「無防備になにげなくおたがいを知らぬ間に助けあう関係」というもの。これが私にとってのTwitter感なんです。助けあうまで言うと深刻すぎる、おたがい影響を与え合う関係という。私はいつも自分のTLを見て「みんないろんなこと思って生きてってるなあ〜」と、なんとなく感じる。それを見てなんとなく励まされている。
みんないろんなこと思って、いろんなもの見て、いろんなもの食って、いろんなとこ言って、いろんなこと感じて考えて、生きている。それは当たり前のことなんだけど、少ない文字のつぶやきの中にそれが可視化される。それが単純にうれしい。
そのいろんな人、がたくさん増えれば増えるほど、Twitterという拡張現実はより豊かになる。だから、自分の大したことない日常でつぶやくことなんて別にないよって思ってる人にこそ、Twitterはやって欲しい。
「眠い」「仕事・学校行きたくない」「腹減った」「ラーメン食べたい」とか、そんなつぶやきからでいいんです。ホリエモンだって最初のつぶやきは「今日のお昼何にしようかな」ですから。