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AKCA-1001

桃井はるこの「へんじがない、ただのしつれんのようだ」を購入しました。いま、全曲聴き終わったところ(ボーナストラック含む。これは聴いてのお楽しみ!)
同時に今日、秋葉原に行ってフリーペーパー・アニカンをもらってきて、桃井はるこのインタビューも読みました。その上でアルバムの感想を。アルバムの感想?というか、もっと全体的なことについて。
アルバムのすべての曲を聴いて思ったは、とにかく桃井はるこがいろんなものの「横断的」な存在だなあー、ということ。アニソンやPCゲームソングを中心に活動をしてきた彼女ですが、いわゆるそのジャンルにとどまっていない。パッケージングされていない。
アニカンのインタビューにもありますが『私の「萌えソング」の根底にあるのは「女の子の本音」なんです』という言葉。これは「アニソンマガジン・00年代萌える音楽総決算」のインタビューでもUNDER17の楽曲について「女の子としえ本物の感情をエッセンスとして入れられたら」…とも言っているとおり、桃井はるこにとって、ずっとソングライティングの根底にあるものなんだと思います。
それが桃井はるこの音楽の根底にあった理由は、まさに桃井はるこ自身の音楽体験…「放課後に秋葉原に通っては、深夜ラジオで聴いたCDやアニメのCDを買いまくっていた」という原体験からきているだと思うんです。そして何より桃井はるこ自身が一人の個性を持った女の子として、自分自身を表現することを突き詰め、突き抜けたからこそ、いろんなものを横断し表現できる存在なんだと思います。
そもそも、人はあらかじめ決められた何かにクラスタ化される存在ではなくて、たくさんのクラスタを横断した個性を持っている存在なんです。記号になんかならなくていい。人間にタグ付けなんていらなくて、その人の個性そのものと通じ合い、信じ合えば、タグをつけたり所属するクラスタを明らかにしなくても、人と人は分かり合えるんです。
だからこそ桃井はるこの、一人の女の子であり一匹のオタであり旅人であり2.5次元的存在であり中原小麦であり(あ、言っちゃったw)…という横断的な個性存在をそのままに表現した、表現し切った、突き詰めて突き抜けたこの「へんじがない、ただのしつれんのようだ」というアルバムは、ほんとうに素晴らしい!としか言いようがありません。アルバムの仮タイトルがmomo-i diaryだったというアニカンのインタビューの言葉からも、彼女がいかに自分の個性を、自分自身を表現し切ったかが分かるでしょう。
そもそも今、音楽シーン全体を見渡してもここまでユニークな個性(いや、そもそも人は誰一人としてユニークでないわけはないのだが)をそのままにソングライティングし、セルフプロデュースし、成功しているアーティストはいるだろうか?そしてこんな稀有な存在である桃井はるこは、オタク界隈の人だけでなく、もっともっと、もっともっと、もっともっとたくさんの人に知られるべきだし、もっともっとたくさんの人に支持されるべきだと思う。
アルバムの表題曲「へんじがない、ただのしつれんのようだ」や「BAKA≒愛してる」のような女の子の本音が突き付けドキリとさせる曲があるかと思えば「☆自演乙☆ソング」や「Galge」のようなオタ全開な曲もある、この横断性。
むしろこの横断性こそ安心できる。桃井はるこという個性を信頼できる。潤んだ目で「おにいちゃん…」なんて言ってくるような、寒々しい、道具のような、タグがつけられクラスタ化された個性では決してないから。
人として信頼できる豊かな人。だから桃井はるこを好きになれる。一人の女の子として恋焦がれる、と思わせるくらい信頼できるのだ。

へんじがない、ただのしつれんのようだ。

へんじがない、ただのしつれんのようだ。

ほんと、桃井はるこなんて全然知らない、聴いたことないって人にこそ聴いてほしい、知ってほしいです。