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なんでひろゆきのことがこんなに気になるのだろう

そう、ひろゆきに関する記事があるたびに「ひろゆきはなにを考えなにを語っているのだろう」ということがいつも気になって、全部読んでそのラジカルかつロジカルな考え方にうなり、共感している。

なのでひろゆき本人の「本人」は買わないわけにはいくまいと。
まだインタビュー完読していないですけど、なんかやはり共感しますわ。ひろゆきと僕は世代的に同じくらいなんで、なんというか…昭和の崩壊に最初に立ち会った世代なんですよね。ご近所の人情とか世間体とか企業の終身雇用とか…いわゆる社会正義的なものの崩壊に最初に立ち会い、それに対して初めて対峙することを迫られた世代。
バブル崩壊のあと就職氷河期に大学卒業を迎え、フリーターという言葉が生まれたのもこのころ。ようは社会も経済も政治も、なんでもありになってしまった時代。信用できない社会に対してたった一人立ち向かうことを迫られたんですよ、僕らは。
インタビューの中でひろゆきは自分はロジカル好きだということを再三言っていますが、そうなんですよね。正義がなくなった社会に対して、たった一人で立ち向かうためにはなんでもありで振舞ってくる社会に対して、こちらも自分なりのロジックという武器を用意して戦うしかなかったんですよ。
相手は強大な力(それも権力という実効性のある力…権力とは逮捕とか起訴とかに限らず、不採用・解雇とかこも含む感じ)を、なんでもありの力で一人一人に分断された僕らをぶっつぶしにかかってくる。ならば、僕らは経済的政治的社会的束縛と戦う自分なりのロジックをもって戦うしかない。これは反社会的な、革命だとかストライキだとかそういうものではないような気がする。
むしろ今では社会のほうが反社会的だったりするではないか。100年に1度の不景気に政治は選挙を伺って何も有効な手を打てずにまるでサボタージュしているかのよう。企業経営陣は非正規雇用をリストラして路頭に迷うことを承知で社員寮まで追い出す。社会が個人に対して生殺与奪する力を振るう権利などあるものか!そんな力を振るう社会に正義などあるものか!社会こそがむしろ反社会的存在ではないか。
ひろゆきのインタビューの中で裁判を起こされたときにどうすれば賠償責任を負わなくて済むか考え、財産を持つことをやめた、と言っていて。ああ、社会規範を飛び越えるとはこういうことを言うのだ、と思い新鮮な感動を得た。
そう、社会に正義などない、正義なき力につぶされる必要はない。生殺与奪される必要はない。だとしたらそれと戦うロジックを組み上げればいい。法も政治も経済も人間が作ったものだ。同じ人間が対抗できないわけはないのだ。社会規範を守らなければならない、というロジックからいったん外れてみれば、その方法も見えてくるのだろう。逆に言えば、社会のほうが僕らを裏切ったのだ。社会というものをここまで信用できないものにさせた…。
ひろゆきはたぶん僕ら「社会に捨てられた世代」のオピニオンリーダー的な存在なのだ。だから彼がいまなにを考え、なにを語るのか、気になるのだろう。