ラジオ・ラジカル

NHKラジオ「土曜あさいちばん」を聴いている。ふだんTBSラジオべったりなんだけど、今朝は4時前に目が覚めてしまい、眠れないのでしかたなしラジオを聞き始めた。「新聞を読んで」というコーナーで大学教授氏(名前を失念した)がクラスター爆弾禁止条約を日本が批准したニュースの感想を述べている。
新聞を読んで、というコーナーなので、新聞そのものにも触れる訳だが、特に毎日新聞のこのニュースの扱いの大きさを激賞していた。比較して朝日新聞のこのニュースの扱い方について「一面で二段見出し、国際面でも少しは扱っているが、このおつきあい程度の低い扱い方はいかがなものか」と酷評している。新聞各紙の名前を直接出し、比較しているこの放送内容に少し驚いた。NHKテレビではこんな放送は絶対しないだろう。改めてラジオというメディアのラジカルさに触れて、やっぱりラジオはいいな、と思った。
しかし、「放送内容に少し驚いた」と書いたが、驚かなければならないことを不思議にも思う。新聞各紙を比較し報道内容に対する意見を放送することがラジカルだと感じられるほどに、日本の放送/報道における表現の自由は摩耗しているのか。それは戦中にプロバガンダに狂喜した揺り戻しからくる「自由に対してのアレルギー」なのか。自由の使い方が分からないから封印をし、不自由の代わりにモラトリアムを得る。むしろモラトリアムでいられるなら多少不自由でもかまわないということか。いつまで奥歯にものをはさんだまま喋り続けたいのだろうか、テレビと、私たちは。いかがなものか、なんてニヒリズムぶりっこはもう要らないんだよ。
社会 - 毎日jp(毎日新聞)
私たちの自由と権利は生まれながらに持っているとされ、憲法でそのように認められている。生まれながらに持っているものを、白紙委任状を付けて誰かに任せてしまうことは出来ないのだ。責任を持って自由と権利、伴う義務を引き受けるべき。自由と権利と義務のあり方にももの申すべき。
って、こんなこと匿名の名前でブログに書くこと自体恥ずかしいかも。