心の闇は言葉へと解かれない。

14歳の少年は親に怒られて家出しバスジャック。14歳の少女は父親へナイフを突き立て生を奪った。14歳の少年の行為の幼さに比べ、14歳の少女の殺人はなんと不可解なのだろう。
ニュースを見ると警察は動機の解明を急いでいるという。動機が解明されなければ罪を裁くことができない。それは分かるけれども、でも少女が動機と思われる言葉を吐いたとき、言葉へと解かれた、人に説明できる言葉にされた彼女の心は、ほんとうに彼女の中にある動機全てだろうか?
動機を必要としているのは社会のほうだ。物語化して社会の中に事件を整理したいだけなのだ。彼女から動機と思われる言葉を引き出したとして、それが彼女自身、父親を失った家族を救うわけではない。
それでも心の闇に見当違いでも何でも光を当てなければなにも進まないのも事実だ。進まなくても良いのかもしれないが、それは社会が許さない。最終的に社会とは、人間個々人の自由や心よりも、社会合意を重要視する。人は社会の合意の範囲内で生きることを強いられるし、多くの人も比較的それを望む。
だからこうして、社会合意を壊すような事件に人は恐れおののき、早く合意し納得し物語化したがるのだ。その気持ちが分かる大人に自分はなってしまったが、きっと14歳の少女には分からないだろう。