虫も殺せない子だったのに…

昨日も暑い日でしたね。夜、窓を開けていたら一匹、蝿が入り込んできて部屋から出て行かない。あまりに動きが速いので叩いて殺すことも不可能。電気を消せばおとなしくなるかなと思い、そのまま寝ました。今朝起きたところ、やはり走光性でしょうか、蝿がキッチンの窓にむかって体当たりしていました。近くにあった殺虫剤アースジェットを装備し、噴射。蝿は徐々にブンブンという羽音を弱めて死んでいきました。殺した直後に「殺すことはなかったかな…」と思いました。「なんとか外に追い払うとか方法もあったかも…」と。なんか殺虫剤の薬剤の力で徐々に弱まって死んでいくのが嫌だったのです。自分で新聞かなんか丸めたのでバシーンと叩いて殺したりしていれば、まだ気持ち的には納得がいくかな、と。
殺虫剤って、よく考えたらすごいですよね。虫、殺すんですから。手近な「goo国語辞典」で調べると、「殺す」とは「人や動物の命を奪う」の意。「命を奪う」というってのも抽象的な表現で、国語辞典としてほんとうに意味を説明しているのか?という疑問が生じますが。たしかに虫は人に害を及ぼすこともあり、また繁殖力もすごいわけで、一匹殺したからどうのって問題はないのですが。でもたとえば「殺人剤」ってのは売ってないわけじゃないですか。まあそれに使える致死な薬はありますけど、すくなくとも「これであなたに害を及ぼす人もイチコロ!」なんていう売り文句でドラッグストアに並んではいない。それを考えると虫に対して殺虫剤をもって殺すに及ぶことは過剰防衛ではないかな、と思うのです。
最近、氷殺ジェットというスプレー式殺虫剤のガスに火が引火して、やけどなどの被害がありメーカーが自主回収という事件がありましたけど、なんというか人間側の過剰防衛に対する報いではないかな、と思いました。やけどを負われた方はお気の毒で、お見舞い申し上げる次第だけれど。もちろん害虫とは共存し得ないし、人間側の生活が脅かされるなら排除するべきと思いますが、「気持ち悪い」「うるさい」等、実害(食べ物、衣類が食べられる、多数這い上がってきて生活空間を侵害されるなど)がないものを「氷殺」までするのはどうか。そういう虫に対しては、まず追い払う。やむなく殺すのであれば人間のみの力、腕一本で叩き殺すことがフェアなのではないかな、と思います。
朝から蝿一匹殺したことでなんでここまで考え込んでいるのか。それはほんとうは殺人剤が売っていて毎日毎日使われ、その力によって「人を殺すということ」と殺す主体の距離が過剰に遠くなっている現実が、この世界にあるからなのです。その問題はきっと、蝿一匹を殺すという行為を自分から効率よく遠ざけようとする、殺虫剤の論理を引き写しできるからなのです。
毎日毎日、人も効率よく、便利な兵器によって殺されている。ボタンを押すだけの簡単操作。それは殺虫剤のトリガを引く行為の延長にあるのではないか?本来私たちには虫も人も殺す論理はないはずなんです。だからこそ虫を、人を殺す方法はより便利になる。しかしその報いは氷殺ジェットのやけど被害のように、私たち自身に報いを与えているのです。