レオナルド・ダ・ヴィンチ−天才の実像

見てきました。上野・東京国立博物館です。よく考えたら上野で国立博物館行くのは初めてだなあ。国立西洋美術館とか東京都美術館は行ったことあるけど。博物館だからだな、きっと。でも今回のこのダ・ヴィンチ展は博物館でやるのが正しいですね。
まずは今回の目玉。というかたぶん切り口としてお「受胎告知」。パンフにも「1974年モナリザ、2007年受胎告知」とあって、まさに大物が来た感を煽ってますねえ。当然30分くらい行列が出来てて、立ち止まってじっくり見るどころじゃない感じでした。
受胎告知はダ・ヴィンチが20歳のときの作品なんです。この時に彼が描いたものの中に後々の、さまざまな自然科学、解剖学への興味の片鱗を見て取ることが出来るというのが、今回の「受胎告知」の立ち位置のようです。
その後の実際の展示のほうがとても興味深かったです。ほんとうにこの人の思想は面白いですね。前頭葉的思考がそのまま人間になったような人です。
レオナルド・ダ・ヴィンチは「原理」と「構造」を追求しようとしました。万物に共有の原理と構造。人の中に、動物の中に、植物の中に、運動の中に、視覚の中に・・・その原理と構造を解明すれば、人は見たことも無いものも原理に基づいて描写、構築できるようになる、というのが彼の信念でした。そういう意味で彼はアリストテレスプラトンなどのギリシア哲学からの影響も強く受けている。
展示を見ていて思ったのは「楽しくて仕方なかったんだろうなー」ということです。たぶんレオナルド・ダ・ヴィンチ自身は自分の信念に基づいて世界を解釈し、原理化し、構造を解明していくことが楽しくて仕方なかったんだろうと思うのです。展示を見てみれば「まあ、そりゃそうじゃん」と思うことがたくさんあります。でも、たとえば遠くのものは空気の密度に応じてかすんで見える、なんて当たり前のことを「原理化する」ということが大事なのです。観察し、解剖し、描写し、実験し、法則を導き出して原理化する。原理化された知識が体系化していく。そのことの重要性をレオナルド・ダ・ヴィンチは知っていたのです。のちにガリレオ・ガリレイが、コペルニクスが、ケプラーが、ニュートンがさまざまな自然科学の学説を唱え、法則を導き出しますが、これら思想的潮流へのレオナルド・ダ・ヴィンチの影響は当然あったのであろうな、と思うのです。
見ること、気づくこと、考えること。そして原理を、構造を見極め応用すること。これらは全て現在にも通ずることであって、ゆえにレオナルド・ダ・ヴィンチが天才と言われるのはまさにその観察→思考→原理化→応用という生産的サイクルを行ったところにあるのではないか、という気がします。