カオスとコスモス

今日一日ラジオをずっと聞いてたんだけど、TBSラジオの文化系トークラジオ「Life」って番組をやってた。TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeで、今日のテーマがmixi2ちゃんねる、どっちが好き?ってものだったのだけど。で、このトピックタイトルです。
そのラジオの構成的にはmixi=秩序、2ちゃんねる=無秩序みたいな感じだったのだけど。まあそれはおいといて、それからたまたまITMediaでのひろゆき氏の記事mobidec 2006:ひろゆき氏「Web2.0はカネにならない」 モバゲー&GREE「携帯はこれから」 (1/2) - ITmedia ニュースなんか読んだりして…でね、この記事の中で

 ひろゆきさんは「人が集まれば何らかの事件は必ず起きてくる」と話し、ある殺人事件の発端になったとされるコミュニティーサイトが、SNSが登場する以前からユーザーがつながる仕組みを持っていたことを指摘した。対策を問われると「世界中から犯罪をなくす方法をぼくに聞かれても分からないんで」とさらり。

というところに深く共感して。ずっと思っていたことだけど、インターネットも人間のこの現実社会の一部で、それを反映しているものだから、ある程度カオスであるのは当然なんだ、と。ましてや匿名性によってある程度治外法権な(というか非社会秩序に対して自由な)空間なのだから(そしてそれは自分を守ってもいるし、悪意を持つ誰かをも守っている)、現実社会よりも、よりカオスになるのは当然のことなんだ。
むそーのインターネット利用歴は1997年からなので来年で10年になるわけだけど、昔はインターネットってまだまだ現実的なものではなくて、みんながやってるものでもなくて、現実社会にそれほど影響を及ぼすものでもなかった。インターネットを使って、金儲けしようとする人もあまりいなかったし、詐欺を働こうとする人も売春しようとする人もそんなにいなかった。でも今は、オークションやネットショッピング、オンラインバンキングにオンライントレード、ライブチャットに出会い系に実名推奨コミュニティと、モノも金も人もがんがんインターネット上で動いている。もちろん詐欺とか個人情報流出とか人権侵害とか生命侵害とかの犯罪も起きている。昔には考えられなかったことががんがん起きている。
匿名性という治外法権の中で、いろいろな現実的利害がバーチャル的な方法で現実を動かせるようになっている。ほんとは全然バーチャルじゃない。インターネットで行われる全てのことはかなり現実的なことなんだけれど、たぶん人々はまだインターネットで行われることに対して、現実社会と同様に危機管理すべきだというロジックを持てないでいる。現実社会での危機管理の感覚というか、空気というか、「あ、やばいな」っていう感覚が肌でつかめないでいるのだと思う。
たぶん電話やテレビを初めて見た人と同じくらいの混乱の中に、私たちはいるのだと思う。受話器から遠くに住んでいる人の声が聞こえ、居ながら遠くの人と話せること。電波に乗って映像が届き、箱の中の画面にそれが映し出されること。電話が無い時代の人、テレビが無い時代の人には、それらの機械がもたらす現実に対して、どのようなロジックで向き合うべきか、いささか混乱下であろう。
いまは過渡期なのだ。インターネットの無い時代に生まれた人がインターネットのユーザーの大半を占めている。しかしこれから、インターネットがあるのが当たり前の時代の人たちが遠からず大半を占め、やがて全部を占めるだろう。そのときもしかしたらインターネットと現実社会をつなぐロジックは変わっているかもしれない。インターネットと現実社会はボーダレスになり、インターネットと現実社会は同程度にカオスで、同程度にコスモスな状態に中和されていくのかもしれない。
テレビ文化を「一億総白痴化」と罵ったの時代があったように、いまはインターネットをそのように捉えてしまう時代なのだろう。インターネットもきっと、人間の作るものだ、それなりにくだらなくて、でもそれなりに価値はある、そんなものに落ち着くのだろうね。