けんぽー9じょう。

自分の高校の顧問の先生の主催する同人誌で知り合った由紀草一さんの本。送っていただいたので読みました。ありがとうございます。憲法改正、とくに9条を巡る論議は好きです。好きですってのもおかしいけれど。
書かれている内容としては、というか結論としては、9条を改正して自衛軍を持つべき、そしてその自衛軍を統括するシビリアンコントロールの徹底ということです。至極まっとうな結論だと思いますし、言うほど簡単じゃないよ、とも思いますけど、それでもそれをやっていくしかないと。
戦争は絶対悪、だから放棄する。絶対悪を放棄した憲法は正しい。正しいものを変えようとすることは悪だという互いを正当化の根拠とする循環論法に陥っている憲法9条。戦争とは何か。戦争が避けられないのならどのように「有効な戦争」を行うべきか。「有効な戦争」とは「必要最小限度の攻撃で短期間で終わらせるルールに則った戦争」のことではないか。そういう「有効な戦争」もそうでなかった戦争もひっくるめて「戦争=絶対悪」と見なすのは、戦争と関わりたくないという、ある種のモラトリアム的なご都合主義ではないか。
そう、憲法9条って理想論的過ぎて、かなりモラトリアム的なにおいがするんですよね。それは戦後日本が父であるアメリカに庇護されている立場を如実に反映している。最近は日本の核武装論を論ずるべきか否か、なんてことも騒がれていますけど、論じるだけならいくらでも論じたほうがいいと思うんですよ。論じる=予算つけて開発を始めるってわけじゃないんですから。それを論じることさえタブーにしてしまうという風潮がおかしい。戦争についても自衛軍についてもそうです。どんどん論じたほうがいい。それをタブーとすることで逃げるのが一種のモラトリアムじゃないですか。逆に原爆被害者であるとか、先の大戦の戦争体験者が生きている間にどんどん論じたほうがいい。世代がそっくり代わってから論じて、過去の反省も生かされず突っ走ってしまうほうがよほど怖い。
モラトリアムって言葉を使うと、逆にじゃあ自衛軍を持って交戦権も持ってという「普通の国になる」こと=「モラトリアムの時期を越えて大人になる」こと、みたいなことが言いたいの?って言われそうですけど。でもそうではなくて。結局日本には過去の大戦の反省なり厭戦気分なりから戦力と交戦権の放棄という過去の人類史上に無い憲法を持つに至った。それを踏まえたからこそ、戦力としての自衛軍、そして交戦権の使い方をより「有効」に考えられるのでないか?というかそうなるべきなのではないか?と思うのです。世界の警察を自認する米軍だってイラクの捕虜収容所じゃ虐待をしちゃうわけですよ。戦争犯罪のない戦争、軍隊はないのです。けれども戦争に伴って、戦争犯罪や無辜の一般市民への被害はやむを得ず、としてはいけない。戦争をせざるを得ないのなら、もっと有効な戦争をする軍隊と、それを統制する法律、行政システムを作らなければならない。それがやはり、戦争が避けられず、戦争を放棄できない世界の中で日本が戦争放棄を放棄するときに、反省を生かすべき道なのではないか?
大人になり方もいろいろあると思うのですよ。かっこいい大人になれるのなら、モラトリアムの間に吸った空気も悪くは無かったと思うのです。そういうかっこいい日本になって欲しい。それを選択するための国民投票法案であって欲しいし、そういう憲法改正論議をして欲しいし、したいと思うのです。